まさかの中止
時は大正7年8月。
全国の予選を勝ち抜いた14校が鳴尾球場に集結しました。
前年度優勝校の愛知一中、第1回優勝校京都二中、第2回優勝校慶應義塾普通部も2度目の優勝を狙っていました。組み合わせ抽選も決まり、後は開会式を待つばかり。
ところが、当時富山県で勃発した米騒動が瞬く間に全国に広がり、大会関係者は延期を発表、二日後には正式に中止が決定されました。
選手達はプレーすることも出来ず、お茶会に参加しただけ、とのことです。
福岡県の進学校として知られる中学明善(現明善高校)は目下のところこれが最後の出場となり、実際にプレーしたのが第2回大会のみ、しかも敗者復活戦があったので2戦2敗という珍記録を持っています。
ということを書こうとしたら、第1回大会の開幕戦に出場した広島中(現広島国泰寺高校)が以降の出場が全くないという記事を見つけました。へぇ~。中村隆元選手が大会第1号本塁打を記録したとのこと。
第4回大会は戦争以外で大会が中止になった唯一の事例です。