これも偶然

5円切手

昨日の偶然ネタで思い出したので書きます。

先日、郵便局に印紙を買いに行った際、待っている間、現行郵便切手のポスターがあったので何気なく眺めていました。

1円の前島密にはじまり、3円、5円、10円…と列挙されている中、ふと5円切手の箇所で目がとまりました。
発行日が昭和46年11月10日になっていたのです。

なんと!

私の生年月日ではないですか!

これまで自分の生年月日には沖縄ゼネストがあったということしか知らなかったのですが、5円切手が発売されたということを初めて知りました。

字体のマイナーチェンジがあったものの瘤白鳥の青いデザインは40年以上も変わらぬまま。
へぇ~。
100~150グラムの定形外郵便が200円から205円に改定されたことに伴い初めて購入した5円切手ですが、私と同じ誕生日だなんて。

とても愛着がわきました。

偶然

数字の並び

今朝、後見業務の一環として銀行に出かけた時のことです。

本人の為に出金したことがあって、その立替金を引き出すために窓口に出向きました。

私が請求した金額は12,345円。

全くの偶然ですが、このような数字になりました。

今まで幾度となく銀行でお金の引き出しを行いましたが、12,345円は産まれて初めて。
窓口の行員さんも私の請求書を見て、一瞬あれ?と思ったそうです。

先日は私のとある個人の預金通帳残高がジャスト2万円(少ないってつっこまないでね)になるという偶然もあって驚いたばかりです。

数字は時に不思議な体験をさせてくれますね。

郵便広告

封筒をごらんください

お久しぶりです。

この7月1日から高知市の上町郵便局と朝倉南郵便局で私の事務所名が記載された封筒がATMコーナーに置かれています。

私がよく利用する郵便局ですが、ご近所さんにも私の事務所のことを知ってもらおうと思い、広告を出すことにしました。

部数がそんなに多いわけではないのですが、興味のある方はお出かけになってみて下さい。

快適なドライブ

信号の流れ

朝早くに久しぶりの更新です。

雨の朝ですが、タイトル通り快適な朝のお話です。

私は早朝出勤をしていますが、自宅から事務所までの約5キロの道程で一番快適に走れる道はどこかを考えながら走っています。
その結果、電車通りをメインに走るのが最も快適であることに気付きました。
自宅を出てから菜園場交差点までまずノンストップ(日によってそうでもないですが)、そしてデンテツターミナルビル交差点で2回目の停車。後は事務所までノンストップです。3キロ近いルートですが、一度も信号にひっかかりません。点滅信号を含めると19機ありますが(日中は点滅ではなくなります)、一度もひっかからず事務所に到着。時間にして5分弱。
日中では信じられないでしょう。
但し、これもコツがあってデンテツターミナルビルで青信号に変わったらゆっくり加速して法定速度の50キロをキープすること。
こうすることで一度もブレーキを踏まずに事務所までたどり着けます。
目の前で赤信号が次々に青信号に変わるのは見ていて気持ちが良いですよ。

早起きは三文の得。

でも、この快適なドライブも午前6時には信号の作動が変わってしまい、途中で頻繁に停車せざるを得なくなります。
さらに、これは電車通りを東から西へ向かう際のお話で西から東への場合はこうはいきません。

今朝もあっという間に事務所に到着できました。
これから朝食をとって仕事です。

映画鑑賞(続き)

42(その2)

一週間ぶりの更新です。
多忙のため、なかなか思うように時間が取れないです。

前回の続きを書きますね。

チャップマンの暴言からドジャースが一つにまとまった、と感じたリッキーはホクホク顔。
その予言通り、ドジャースは快進撃を続けます。

当時、ナ・リーグ一の最強球団はセントルイス・カージナルスでしたが、この年、ドジャースはペナントレースを制します。

ロビンソンのデビューから引退まで、すなわち1947年から1956年までの10年間でドジャースは実に6度もナ・リーグ優勝を果たしました。これはドジャース史を紐解いてみて、どの10年間を選んでみても最多回数なのです。

映画は1947年で終わっていますが、ロビンソンの波瀾万丈に満ちた人生は枚挙に暇がありません。
彼の自伝を読んでいた私は、映画を見ていても、「あれ、ここは現実と違うなぁ。」という見方をしていたため、レビューにあるような「感動して号泣しました。」ということにはならなかったです(-_-)。
アルフレッド・ヒッチコックじゃないけど、「知りすぎていた男」でした。

でも、ドジャースファンの私にとって、往年の選手が見られたのは嬉しい限りでした。
ピー・ウィー・リースやラルフ・ブランカらチームメイト、レオ・ドローチャーやバート・ショットン両監督、特に、ショットンはユニフォームを着ない監督だったというのはこの映画で初めて知りました。

自伝を読んでみると、ロビンソンのリッキーに対する敬意は甚大で、リッキーの葬儀の時に黒人選手の参列者や弔電が少なかったことを嘆いていました。

若かりし時に黒人選手に辛い思いをさせたリッキー。その心の傷を見事に癒やしてくれたロビンソンの活躍。
誰もが二の足を踏むことにチャレンジし続けた二人の師弟愛。

改めてブランチ・リッキーのすばらしさを認識した映画です。