カテゴリー別アーカイブ: 嗚呼甲子園

第6回全国中等学校野球優勝大会

病を押して

夏の高校野球が100年を迎え、今年は開幕式で第1回出場校の生徒たちが当時のユニフォームを着て行進するという粋な演出がありましたね。

毎日のように熱戦が繰り広げられていますが、95年前の大会を振り返ってみましょう。

地元兵庫県は関西学院中が代表権を獲得したため、前年度優勝の神戸一中が開会式で入場行進できないということが初めて起きたのがこの大会でした。また、この大会が初めて開会式が雨天順延になった回でもありました。

関西学院中は準決勝と決勝で打線が爆発し、いずれも二桁得点、特に決勝では第2回優勝校の慶應普通部を17対0で下すという圧倒的強さを見せつけました。

この関西学院のマウンドを守ったのが沢昇投手でしたが、肋膜炎を患っており、高熱を押しての登板でした。
また、鳥取中(現鳥取西高)の坂本浩三捕手も強度の脚気に苦しみ、歩くこともままならない状態でした。
準決勝の関西学院戦では、その関西学院側から「坂本選手の打席は代走が走っても良いですよ。」と特別ルールの申出がありました。坂本選手は第一打席で死球退場したので代走の場面はなかったのですが、大会後、選手の健康証明書を義務づけることが決まりました。

優勝投手の沢選手は翌年お亡くなりになったとのことです。

選手の健康管理も大会出場には大きな課題であることを認識させられた大会でした。

第5回全国中等学校優勝野球大会

史上唯一の珍事

今、甲子園大会で熱戦が繰り広げられています。

明徳義塾vs日大山形の試合も緊迫した好ゲームになっていますね。

さて、時計の針を大正8年まで巻き戻しましょう。

兵庫県鳴尾球場に14校が集まりました。地元兵庫県は神戸一中(現神戸高)が初出場。

初戦で全5回全てに出場している和歌山中(現桐蔭高)を破ると勢いに乗ります。

続く慶應普通部、盛岡中をいずれも完封。

決勝の相手は長野師範。神戸一中が先制しましたが、長野師範が追いつき、同点のまま8回裏へ。8回裏に長打とバントで揺さぶり相手のエラーを誘って大量5点。最終回の長野師範の反撃を2点に抑え、見事初優勝。

ところが…。

今大会から始まるはずだった閉会式恒例の場内一周を「我々は見世物ではない」と拒否。来田信朗主将は後年、「あの時自分は若かったですね。」と振りかえられたとか。

場内一周を拒否した学校は最初で最後、神戸高はその後一度も甲子園で決勝戦に残ったことはありません。

トリビアでした。

第4回全国中等学校優勝野球大会

まさかの中止

時は大正7年8月。

全国の予選を勝ち抜いた14校が鳴尾球場に集結しました。

前年度優勝校の愛知一中、第1回優勝校京都二中、第2回優勝校慶應義塾普通部も2度目の優勝を狙っていました。組み合わせ抽選も決まり、後は開会式を待つばかり。

ところが、当時富山県で勃発した米騒動が瞬く間に全国に広がり、大会関係者は延期を発表、二日後には正式に中止が決定されました。

選手達はプレーすることも出来ず、お茶会に参加しただけ、とのことです。

福岡県の進学校として知られる中学明善(現明善高校)は目下のところこれが最後の出場となり、実際にプレーしたのが第2回大会のみ、しかも敗者復活戦があったので2戦2敗という珍記録を持っています。

ということを書こうとしたら、第1回大会の開幕戦に出場した広島中(現広島国泰寺高校)が以降の出場が全くないという記事を見つけました。へぇ~。中村隆元選手が大会第1号本塁打を記録したとのこと。

第4回大会は戦争以外で大会が中止になった唯一の事例です。

昔日の思い出

土佐高校vs高知南高校

昨日、高校野球の高知県予選が行われ、春の甲子園に出場した我が母校土佐高校が初戦で高知南高校に敗れた、との記事が掲載されていました。

シード校だったのに、初戦敗退か…。仕方ないですね、勝負は分からないものです。

1安打に封じ込められて、6失点。甲子園の戦績よりも完敗でしたね。写真で見ると、高知南高校のユニフォームが濃紺の帽子に縦縞になっていました。

そういえばあの時は白い帽子にライトブルーのアンダーシャツだったなぁ…。

この記事を読みながら、私はふと24年前の夏を思い出しました。

高校野球県予選の決勝戦は土佐高校と創部3年目の高知南高校。当時私は受験を控えた高校3年生でした。午前中に期末テストを終え、数人のクラスメートは春野球場に直行しましたが、私は「こんな天気じゃ中止だよ。」と決めつけ、帰宅。

念のため、と思ってテレビを点けたら、ありゃ!実況中継が始まっているじゃないですか。

しまった~!

私は暫時タクシーを呼びつけ、「春野球場まで大至急お願いします!」と一人で乗り込みました。途中、運転手は文字通り疾走(笑´∀`)。

やっとこさ、球場に辿り着き、一塁側応援席へ。

試合は高知南高校が先制し、土佐高校が0点に抑えられる苦しい展開でした。

ですが、終盤に逆転ホームランが飛び出し、最終的に3対1で土佐高校が甲子園行きを決めました。

あれから24年、土佐高校が敗れた今、私は高知南高校を応援することにします。

懐かしい思い出がよみがえりました。

第3回全国中等学校優勝野球大会

ただ一度の優勝

今大会から豊中球場から兵庫県鳴尾村(現西宮市)の鳴尾球場に開催場所が変更されました。豊中球場は会場が狭く、交通アクセスも良くなかったので移転したんですね。

この大会から恒例の入場行進が始まりました。

連覇を狙う慶應普通部は2回戦で盛岡中に惜敗、何と岩手県勢は2年連続で前年度優勝校を破ったことになります。

第2回大会から敗者復活制度が採用されていましたが、組み合わせ前に、愛知一中(現旭丘高)の長谷川武治主将は主催者に「敗者復活戦から勝ち進んでも優勝できるんですか?」と質問し、「勿論優勝です。」との回答を得ました。

愛知一中は初戦で長野師範に敗れるのですが、その後敗者復活戦を全て1点差で勝ち上がりました。

決勝の相手は地元兵庫の関西学院中。関西学院中が1点をリードしていましたが6回裏2死途中、突然の夕立という雨のためノーゲーム。後アウト一つで関西学院中の優勝というところで勝利の女神が逃げていきました。

そして再試合は両校無得点で迎えた延長14回、愛知一中が内野安打で先制し、これを守り抜きました。愛知一中の優勝です。

抽選会場の何気ないやりとりが現実のものとなりました。

大会後、この優勝を疑問視する声が挙がりました。

その後、敗者復活制度は廃止されたので、愛知一中が最初で最後の敗者復活戦を勝ち上がった優勝校となりました。その後、愛知一中は現在に至るまで甲子園大会で決勝戦まで残ることがなく、同校にとって唯一の優勝です。